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Twitter totoro663
○2023年10月分
10/2
明治維新後に東北出身者が、東京で活躍し、立身出世を遂げるためには、本人が潜在的な能力を持っているだけでは到底無理である。
そのような有能な人材が見いだされる偶然の機会、上司に恵まれる幸運な機会がなければ、有意の人材は現地に埋もれてしまう。
『後藤新平―大震災と帝都復興,越澤明著,ちくま新書,P.42』より引用。
10/4
本当は、現代を生きる日本人の全てが知っておいてしかるべきこと。日本は東京の首都である。もし、後藤がいなかったならば、東京は今のような形にはなっていない。
あの当時、後藤と同じポジションを担える人材は日本のどこを探してもいなかった。
10/9
行動力、人望、知性、経験を兼ね備え、日本のNO.2である内務大臣という地位にあり、都市計画に精通していた後藤だからこそ、復興院総裁という極めて難しいポジションを全うすることが出来た。
たくさんの人に知っておいてほしい。東京復興の立役者は東北人である後藤新平。
10/18
なぜ、後藤が東北人でありながら、明治から昭和初期にかけての日本で例外的に出世し、活躍することが出来たのか。
また、なぜ東北人はそれほどまでに、辛い立場にあったのか。このことは、とても今回だけでは書ききれないので、別の記事で改めて書きます。
10/19
また、後藤を語るには、台湾を外すことは出来ない。
後藤は台湾民生長官時代の功績により、台湾で今でも高く評価されている。このこともまた別の機会に書きます。
ということで、この投稿はこれで終わりとします。後藤新平と東京の関係。心に留めておいていただけると嬉しいです。
10/20
「アメリカの青年達よ。東洋には素晴らしい国がある。それは日本だ。
日本には君達が想像もつかない
立派な青年がいる。
ああいう青年がいたら
やがて日本は世界の盟主になるに
違いない。奮起しろ!」
10/21
硫黄島での戦いの時に第五艦隊司令長官として
アメリカ海軍を指揮したレイモンド・A・スプルーアンス海軍大将の言葉です。
彼は戦後、この言葉を伝えるべく全米各地を公演して回りました。
彼が、このように日本の事を言うようになったのは
次のようなエピソードがあったからです。
10/22
1ヶ月近く激戦を繰り広げ多大な犠牲者を出してアメリカ軍が硫黄島を占領した
あくる日のことです。
岩山の穴の中から負傷した日本の陸軍少佐が
降伏のしるしのハンカチをもって出てきた。
10/23
彼は
「司令官はいないか。穴の中には
有能な30名の青年達が残っている。
彼らを日本のため世界のために生かしてやりたい。
私を殺して彼らを助けてくれ。」
といいました。
少佐を引見したスプルーアンスが
「お前も部下達も助けてやろう」
というと、彼は
「サンキュー」
といって絶命した。
10/24
その後、アメリカ軍は
青年達が残っている穴の中に
煙草や缶詰を投げ入れたりして
残された青年達に穴から
出てくるよう勧告をしますが
彼らはそれに応じず抵抗を続けました。
数ヶ月間の抵抗の末
やがて何名かが餓死し
最後に残された者たちは
手榴弾で自決して果てました。
10/26
その爆発がした時にスプルーアンス司令官が穴の所に飛んで行くと、
穴の入り口に英語と日本語で書かれた手紙がおかれていました。
「閣下の私達に対する御親切な御厚意誠に感謝感激に堪えません。
閣下より戴きました煙草も肉の缶詰も皆で有り難く頂戴いたしました。
10/27
お勧めによる降伏の儀は 日本武士道の習いとして
応ずることができません。
最早(もはや)水もなく食もなければ
十三日午前四時を期して
全員自決して天国に参ります。
終りに貴軍の武運長久を
祈って筆を止めます。」
10/30
旧日本兵2万2000人が戦死。
今だに1万3000人あまりの遺骨が
みつかっていない。
昭和二十年五月十三日
日本陸軍中尉 浅田真二
米軍司令官スプルーアンス大将殿
(祖国と青年 平成7年6月号)
10/31
安倍一族の話から、光から外れて、平泉、コロンブス、世界遺産、征夷大将軍、白河以北一山百文、後藤新平、旧日本軍の素晴らしい青年将校と話が流れてきました。
また、この辺で話を光に戻したいと思います。
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